前回に続いてその2
まず本を決めるところから
1.映画化している作品にしよう。
楽をしたい人ならば映画化をしている作品を見れば問題ない、映画を見て描けばさも読んだようになる、問題は映画化で変更した点があるとまずい、ばれる。なお小説を読んだ後、同名の映画も視た体にすれば問題ない。
本読むのが平気な人は自由に選べばいいと思うよ。
作品はできるだけ固い内容の方がいい、柔らかいような作品だったりあまりにも流行の物だとあまりいい顔はされない、公務員の場合にはより顕著です。
2.読むとき、視るときに大事だなと思ったところにサインやマークもしくはメモをとる。
抵抗のない人はドックイヤーである人は付箋でそれもいやな人はメモ帳にページ番号と行数で、映画の人もメモ帳で。なお図書館から借りた本は付箋を使ってはいけません、メモ帳にしてください。
3.できるだけ余裕を持って書く。
非常に重要、一日かけて完全に終わらすのが理想、むしろ初日にやれ。切羽詰まっては無理絶対に無理。
4.XXがこうしたとき私はこう思いましたーはしない、やらない、やらせない。
やっても問題ないがとにかく次につながらない、こういった方法は杜撰であることに気が付くべき。
5.究極的には本なんて読まなくていい。
極論、本なんで読まなくてもいい、この本を読んで父親と過ごしたことを思いましたなぜなら~で問題ない。
6.一つのとっかかりから勝手に感想を書け。
上記に対する答えで、XXの内容で私はこう思ったたとえば~で実際にあった話をしてしまえば問題ない。むしろ膨らみ方は無限大どうとでもいける、資本論を読んでお小遣いの話しに行こうが政府批判をしようが膨らみ方は無限大、なお膨らんだ先での収拾はちゃんとつけるように。
じゃあいったい実際に書くならどうすればいいのか?
たとえば桃太郎。
その1
桃太郎を読んで最初に考えたのは私が最初に読んだのと話が異なっていると言うことである。これについて調べてみると興味深いことがわかった、過去の出版時には犬や猿や雉がお供もすることになっていたが最近の版ではお供とは異なる形でついていくことになっているというだ。
家来という表現が最近ではだめらしい、いつ変わったのかと調べてみたら興味深いことがわかった。
桃太郎の始まりは室町の時代に作られ江戸時代以降に広まったとされ「桃太郎昔話」として広まったとのことである。
明治時代初期までは桃を食べて若返ったお爺さんとお婆さんの間に桃太郎が生まれたとあり自分自身が読んだ版が基準となっていたため非常に驚いた。
その点について…
とするとこれは桃太郎の研究になってしまう。良くない
その2
桃太郎を読んでみて思ったのが桃太郎の行為である、私は桃太郎がどういう気持ちで鬼の元へ行ったのかを考えたい、最初は自分一人だったけれども、おばあさんからもらったきび団子を大切を渡して犬や猿が増える事について感銘を受けた、それは自己犠牲の尊さと言うことである。私は今まで強い物に仲間が増えると思っていた、しかし私は以前~
とした方が良い。
なお桃太郎は常識的に考えていろいろとまずいです、夏休みに岡山に行く予定のある人がするべき。
もしも岡山へ帰省するならば、
その3
私は母の実家にある岡山へ帰省すると桃太郎の銅像があった、そこで私は母と話をし桃太郎の認識と母の持つ桃太郎の認識とで実家までの間桃太郎の話をした。するとおもしろいことがあった~
として上記の分につなげればOK、なおOKではない模様。
実際に書くならもう少ししっかりした本にするのをおすすめする。
そんな感じで別に本が重要ではなく話の膨らみ方、膨らませ方の方が重要である。
本気を出せば小倉百人一首の解説本で心にしみた句で広めてもかまわない。
結論
要は書いた本をベースに自分の話をすればいい、自分の話は感情を豊かに。もしも
「悲しんだ。」
であれば
「そのような事をするなんてとショックをうけ又どうしてそのようなことをしたのかがわからずに悲しんだ。もしかしたら~」
とかすれば問題ない 。
前回などのポイントに注意して乗り切ってほしい。
なお本ブログはこれを移してくださいなんて 甘いことはしない。
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